アパートやマンションを所有しているオーナーが高齢になったとき、避けて通れないのが「判断能力が落ちたあと、その物件を誰がどう動かすのか」という問題です。所有者本人の意思確認ができなくなると、賃貸借契約の更新も、大規模修繕の発注も、売却も止まってしまいます。いわゆる資産凍結です。
その備えとして注目されているのが家族信託です。この記事では、不動産投資と家族信託の相性、活用することで得られるメリット、そして見落とされがちなデメリットを、費用や手続きの流れとあわせて整理していきます。

家族信託とはどういう仕組みか
財産を「託す人」「預かる人」「利益を受け取る人」に分ける
家族信託は信託法にもとづく契約で、民事信託とも呼ばれます。財産を託す委託者、預かって管理・処分する受託者、そこから生じる利益を受け取る受益者の3者で構成されます。不動産投資のケースでは、親が委託者兼受益者、子が受託者になるパターンが最も多く見られます。
この形にしておくと、物件の名義(登記上の所有者)は子に移りますが、家賃収入は引き続き親のものとして扱われます。つまり、管理する権限だけを先に子へ渡し、経済的な利益は親に残したままにできるわけです。贈与とは違い、この時点では贈与税がかからないのが一般的な取り扱いです。
成年後見制度とはどこが違うのか
判断能力が落ちた方の財産を守る制度としては、成年後見制度もあります。ただし目的が違うため、不動産投資との相性には差が出ます。
| 比較項目 | 家族信託 | 成年後見制度 |
|---|---|---|
| 開始のタイミング | 元気なうちに契約 | 判断能力が落ちてから申立て |
| 不動産の売却 | 契約で定めた範囲で受託者が判断 | 居住用は家庭裁判所の許可が必要 |
| 積極的な運用 | 契約内容次第で可能 | 本人の財産保全が優先される |
| ランニングコスト | 基本的に発生しない | 専門職が就くと継続的な報酬 |
| 財産の承継先の指定 | 契約で指定できる | 指定できない |
成年後見制度は本人の財産を守ることが第一の目的なので、収益を増やすための建て替えや買い増しといった判断は通りにくい傾向があります。賃貸経営を止めずに続けたいなら、事前に手を打てる家族信託のほうが柔軟だといえます。
家族信託と成年後見の違いは、図解で解説した入門書を1冊読んでおくと、家族で話し合うときの共通の土台になります。
不動産投資に家族信託を活用する4つのメリット
1. 資産凍結を避けられる
最大の利点はここです。オーナーの判断能力が低下しても、受託者である子が信託契約にもとづいて賃貸借契約の締結・更新、修繕の発注、管理会社との契約変更などを進められます。入居者募集が止まって空室が埋まらない、雨漏りの修理が発注できない、といった事態を防げます。
2. 大規模修繕や建て替えの意思決定が止まらない
築年数が進んだ物件では、外壁塗装や屋上防水、給排水管の更新といった数百万円単位の工事が避けられません。所有者の意思確認ができないと、こうした工事の契約自体が結べなくなります。信託契約に修繕や建て替えの権限を書き込んでおけば、必要なタイミングで手を打てます。
3. 売却のタイミングを逃しにくい
不動産は「売りたいときに売る」ことが難しい資産です。そこに意思確認の問題が重なると、機を逃してしまいます。信託しておけば、あらかじめ定めた範囲内で受託者が売却を判断できます。介護費用が必要になったときに物件を現金化する、といった対応もしやすくなります。
4. 二次相続の先まで承継先を決められる
遺言では、自分の財産を誰に渡すかまでしか指定できません。家族信託では、受益者が亡くなったあとの次の受益者まで契約で定める設計(受益者連続型)が可能とされています。「まず配偶者、その次は長男」というように、二段階先まで道筋をつけられるのは信託ならではの特徴です。ただし期間には法律上の制限があるため、設計は専門家と行ってください。
承継の道筋を考える前提として、不動産の相続の流れを扱った本で全体像を押さえておくと、専門家との相談も進めやすくなります。

見落とされやすいデメリット
信託した不動産の赤字は、他の所得と通算できない
ここは不動産投資で家族信託を使う際の最重要ポイントです。租税特別措置法の規定により、信託した不動産から生じた損失は、なかったものとみなされ、信託外の所得と損益通算できません。翌年以降への繰り越しもできず、信託契約を複数に分けた場合はその契約同士でも通算できないとされています。
大規模修繕を予定していて赤字が見込まれる年がある、あるいは給与所得との損益通算を前提に投資計画を組んでいる。こうしたケースでは、信託するタイミングや対象物件の選び方が結果を大きく左右します。契約前に必ず税理士へ相談してください。不動産所得そのものの計算の考え方は、国税庁のタックスアンサー「No.1370 不動産収入を受け取ったとき(不動産所得)」で確認できます。
それ自体は節税の手段ではない
家族信託は財産管理のための仕組みであり、相続税や所得税を直接軽くするものではありません。委託者と受益者が同じ「自益信託」で組む場合、信託した時点では課税関係が動かないのが一般的な取り扱いです。節税目的で導入しても期待した効果は得られにくいと考えておきましょう。実際の課税関係は個別の事情によりますので、判断は税務署や税理士にご確認ください。
受託者になる家族の負担が重い
受託者は信託財産を自分の財産と分けて管理する義務を負い、帳簿の作成や年1回の報告書の作成も求められます。信託財産に属する現金は、通常の個人口座とは別に信託口口座で管理する必要があります。この口座に対応している金融機関はまだ限られており、事前の確認が欠かせません。
対応できる専門家が多くない
家族信託は比較的新しい分野で、収益不動産まで含めた設計となると、経験のある司法書士・弁護士・税理士は限られます。設計を誤ると、あとから作り直すのに再び費用がかかります。相談先は、実績と、税務まで含めた連携体制で選びましょう。
費用と手続きの流れ
かかる費用の内訳
- 専門家へのコンサルティング報酬(信託財産の評価額に応じた設定が一般的)
- 信託契約書を公正証書にする際の公証人手数料(財産額に応じて変動)
- 不動産の信託登記にかかる登録免許税(建物は固定資産税評価額の0.4%、土地は軽減措置の適用で0.3%とされる期間があります)
- 登記を司法書士に依頼する場合の報酬
合計額は信託する財産の規模で大きく変わります。金額の目安は事務所ごとに設定が異なるため、複数の事務所から見積もりを取って比較してください。登録免許税の税率は改正されることがあるので、最新の税率は法務局の不動産登記の案内や国税庁の情報で確認しましょう。
手続きの進み方
相談から完了までは、おおむね次の順で進みます。物件の状況や家族の人数によりますが、数か月かかることも珍しくありません。
- 家族で目的を共有し、誰が受託者になるかを話し合う
- 専門家に相談し、信託する財産の範囲と権限を設計する
- 信託契約書を作成し、公正証書にする
- 不動産の信託登記を行う
- 信託口口座を開設し、家賃の入金先を切り替える
- 管理会社・入居者・金融機関へ必要な連絡を行う
書類の量に心が折れそうになったら
この手続きでいちばん大変なのは、実は書類の管理です。登記事項証明書、固定資産評価証明書、戸籍謄本、賃貸借契約書の写し、金融機関の資料と、集める書類が一気に増えます。打ち合わせのたびに「あの書類どこに置いたっけ」と探し回るのは、想像以上に消耗します。
対策はシンプルで、案件専用の置き場所を最初に作ってしまうことです。A4サイズのファイルボックスとインデックス付きのクリアファイルを用意して、物件ごと・書類の種類ごとに分けておくだけで探す時間が激減します。原本を郵送でやり取りする機会も増えるので、A4の書類がそのまま入る角形2号の封筒をまとめて買っておくと手が止まりません。データで残したい方は、両面同時読み取りに対応したScanSnap iX1600のようなドキュメントスキャナーがあると、契約書の控えを一気にPDF化できます。

家族信託が向いているケース・そうでないケース
検討する価値が高い状況
すべてのオーナーに必要な仕組みではありません。次のような条件が重なるほど、導入を検討する意味が大きくなります。
- オーナーが高齢で、今後の判断能力の低下に不安がある
- 賃貸物件を保有していて、修繕や建て替えの判断が控えている
- いずれ売却して介護費用や生活費に充てる可能性がある
- 相続人が複数いて、承継の道筋を先に決めておきたい
- 物件の管理を任せられる家族が身近にいる
ほかの手段のほうが合う場合もある
逆に、保有しているのが自宅だけで賃貸経営をしていない、相続人が1人しかいない、といったケースでは、遺言や任意後見契約で足りることもあります。費用をかけて信託を組む前に、目的が本当に信託でしか達成できないのかを確認することが大切です。
また、借入を使ってこれから物件を買い増していく段階のオーナーは、信託によって融資の受け方に制約が出る可能性があります。拡大期にあるうちは信託を急がず、保有規模が固まってから検討するという判断もあります。
この記事は制度の一般的な説明です。信託の設計、課税関係、登記の要否は個別の事情によって変わります。実行前に必ず司法書士・弁護士・税理士など有資格の専門家にご相談ください。

よくある質問
Q. ローンが残っている物件も信託できますか
できる場合もありますが、金融機関の承諾が必要です。ローン契約には無断で名義を移すことを禁じる条項が入っているのが通常で、承諾なく信託登記を行うと契約違反となるおそれがあります。信託に対応している金融機関はまだ限られているため、検討の初期段階で借入先に相談してください。
Q. すでに認知症の診断を受けていても契約できますか
信託契約は本人の意思能力があることが前提です。診断名だけで一律に判断されるわけではありませんが、契約内容を理解して意思表示できる状態でなければ結べません。この段階に至った場合は、成年後見制度の利用を検討することになります。
Q. 受託者になった子に贈与税はかかりますか
親を受益者とする自益信託であれば、名義が子に移っても経済的な利益は親のままなので、原則として贈与税の課税対象にはならないとされています。ただし、受益者を子にする設計にすると贈与とみなされる可能性があります。設計次第で結論が変わる領域なので、税理士への確認が必須です。
Q. 家族信託と遺言はどちらか一方を選ぶのですか
併用が可能です。信託しなかった財産については遺言でカバーする、という組み合わせが実務ではよく使われます。預貯金や自宅、有価証券などを信託の対象に含めるかどうかは、目的に応じて決めていきます。
Q. 兄弟がいる場合、トラブルにならないですか
受託者になる子だけで進めてしまうと、あとから「勝手に決めた」という不満が出やすくなります。設計の段階で相続人になる家族全員に説明し、記録を残しておくことが、結果的にいちばんの予防策になります。専門家に同席してもらって説明の場を持つのも有効です。
まとめ
不動産投資と家族信託の組み合わせは、判断能力の低下による資産凍結を避け、賃貸経営を止めずに次の世代へつなぐための備えです。修繕や売却の判断が止まらないこと、承継先を先まで指定できることが大きな利点になります。
一方で、信託した不動産の赤字を他の所得と通算できない点は、投資計画に直接影響します。節税目的の制度ではないことも押さえておきましょう。導入を考えるなら、物件の状況・借入の有無・家族構成を整理したうえで、信託と税務の両方に明るい専門家へ早めに相談するのが確実です。個別の判断は、税理士や司法書士など有資格の専門家にご確認ください。


